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ながの祇園祭御祭礼屋台巡行のマジメな話

2012/07/20

タイムリーなブログになってなくてダメなんですが、7月15日(日)は、ながの祇園祭御祭礼屋台巡行でした。

当日見て、素晴らしかったです!屋台には人が乗っていて踊っいるというのが単純に面白いです。たくさんの人が曳いている方が面白いです。善光寺さんに入っていって踊りを奉納なんて面白いです。

開催のための努力をしてきて、よかったと素直に感じました。是非、来年は見に来てください。

このお祭は、「伝統民俗文化の承継」「地域コミュニティの再生と再構築」「観光資源の掘り起し」が3大目的です。で、全部達成できるポテンシャルがあるお祭だと実際開催して確信しました。

 

 

さて、折角なので、本番は終わったのですが、ここまでの経緯を。

私は、たまたま長野青年会議所からの縁がありまして、このながの祇園祭の実行委員になりました。肝心な屋台巡行自体は見たことありませんでしたが。

昨年10月の実行委員会の立ち上げから係わり、計画書や予算の作成、広報、協賛金パッケージ、青年会議所の担当部分(主にイベント等)の調整などをしていました。ただのマチの祭りの手伝い的感覚で携わったのですが、進めば進むほど話は大きくなる一方で。。。

準備段階で屋台巡行を知ってるいろいろな方が「大変だぞー」とか「すごくいいんだよ」と大きな反応があり、また通常のイベント開催では考えられないくらい多くの方に積極的に協力していただけるという点で、普通のことではないらしいとは思いましたが、やっぱりそれだけのものだったんですね;

準備は、あるJCメンバーの方が、図書館から本を借りてきてくれて、歴史のお勉強から始めました。中世からあるお祭らしい。日本3大祇園祭だったらしい。歴史は諸説あるとしてもストーリーがあります。

江戸、明治時代には確かに相当なお祭だったようです。出る屋台の数、屋台がなくとも別の形で参加する町民。また、江戸時代には加賀前田公の参勤交代行列と対立したこともあるそうです。こういうのが、門前町気質なのかなあと思ったり、いろんな想像をしました。

しかしいろいろあって、昭和40年で毎年運行停止、御開帳に合わせて屋台運行するというのが通例となりました。(長野びんずるはその結果なのかは別として、時代の必然として誕生したんだとおもいます)

私は、「長野って結局のところ善光寺の門前町ってことがアイデンティティ」という自分なりの結論に昨年あたりに至っていたので、この祭の復権というのは、「長野」という地方都市の独自性を明らかにする上で、とても面白そうだと感じました。

じゃあ、ガンバってやってみることにしました。

ただ、簡単なわけもなく、やっぱり開催困難か!?という中で、ある市会議員の方が関連団体全員集めて会議を開きました。そこから一気に祇園祭は開催に向かったと思います。腕力のある方は違います。

そして、屋台巡行ができない原因の解決が、私ども青年会議所の役割のようでした。毎年開催できなくなった原因はいっぱいあります。凄くシンプルに書くと、カネ、ヒト、モノ。全部の解決は一回目の祭りまでではとても無理です。とにかく一回お祭をやる!2回目できなくなる理由を減らす。そうすると楽しいと思う人が増えてもう一回やろう!この正の循環が大切だと思いました。そして、加盟町以外の市民参加を増やしていく。

ということで、現代的なセンスのよいイベントとかは僕には考えられないので、徹底的に以前あったものの掘り起し、復活を考えました。

『俄物』。←読めませんでした。屋台と一緒に昭和39年まで巡行していたオブジェらしいです。昔の写真もなかったのですが、勝手にイメージして、今年は龍と鹿を作り、馬をお借りしました。巡行に加わるのも変なので、カーニバル形式で、俄物と一緒にみんなで中央通りを自由に踊ってほしいなあと思いました。何回かやれば、俄物が増え、参加したい人が増えてくれるような楽しいイベントになるかなあと。

天王さん。1mくらいの和紙に字を書いて弥栄神社の木に引っかかると字が上手くなるらしいというおまじない。1mの和紙!若干気持ち悪くて楽しそう。字が上手くなってもちょっと足りないので、引っかかるとお願いごとが叶うということで、弥栄神社齋藤宮司の協力を得てやってみることに。

振る舞い。お祭は参加感を出すことが一番かと。そこで木札を買うと振る舞いが受けられるとしました。本当は加盟町20箇所の会所の一部を使いたかったのですが、そこまでの準備ができず、2か所つくったサービスステーションにて実施しました。振る舞ったのは、飲み物とキュウリ。キュウリは輪切りにすると弥栄の御紋に似てるそうで、30年くらい前は初物キュウリを奉納→振る舞いしていたそうです。

京都の祇園は、キュウリは遠慮するそうです。八坂の御紋に似てるから。トコロ変わればですね。

地元商店の参加促進。食べ歩きMAP作成しました。いわゆる飲食系屋台(テキヤ)を頼まないことにしました。商店会連合会が昭和通り以南が非加盟であることやそもそも商店会に所属しない店が増える中、どのようにそのエリアでお店を出している人に祭に協力してもらうか。今後参加してもらうか。その第一歩です。結果、やはり末広町から北石堂の南エリアの人の滞留が難しかったのですが。

このように書いていると、全部僕がやったのかのように見えますが、そんなことはありません。ていうか、こんなにできません。

理解のある方々やJCメンバーの協力あってのことです。JCのメンバー個々は、やっぱり、全然力が違います。改めてビックリしました。

また青年会議所の名刺で挨拶いったりすると、話は聞いてもらえる。協力を得られやすい。長野JCのブランド価値も実感できました。

 

あと、世の誤解として多いので、改めて書きますが、JCが祭をやったのではありません。

例えば、商工会議所。加藤会頭が協力体制をひいてくださったのもあるのですが、やっぱり持ってるノウハウの量や人脈も違います。

そして、あくまでマチのお祭です。でも、印象的だっとのは、開催間際になるとマチの実行委員会の役員の方々の考えも変わってきているようでした。一番驚いたのは、当初何につけても「弥栄神社」を入れた名前にこだわっていらっしゃったのが、最後には実行委員会の名前を自ら「ながの祇園祭屋台運行実行委員会」に変えたことでした。市民祭にしていくんだということと、自分たちのお祭への誇りを強く感じました。

そんなこんな、いろんな恵まれた環境の中、無事にしかも天気にも恵まれ、開催に至れました。

 

毎年継続してやるのはもっと大変です。後処理もありますが、反省や残った課題の解決にむけて、もう一ガンバリします。

9月27日(木) 18:30~ ホテル国際21で

市民連携フォーラム「市民がつくる「ながの祇園祭」の新たなカタチ」

で、継続していくための課題を楽しく、真剣に出していきます。どうぞよかったらお越しください。

 


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